さて明治以降の新潟は、
人口が東京よりも多かったそうで。
港湾都市として存分に栄えていたそうです。
ただ、港湾都市の発達となると利権が絡んできます
利権の問題で揉めにもめたそうです
そこで出てくるのが沼垂町と新潟町
沼垂…夜景撮影の時にフラグを立てましたが
沼垂=ぬったりだそうです
淳足=ぬたりから来ています
悲しい事実として
広島、長崎に原子爆弾が落とされました
実は新潟も候補に上がっていました。あとは小倉(北九州市)
広島、長崎はそれぞれ軍港がある(呉、佐世保)
東京はそれ以前、3月15日に大空襲があり焼け野原になった
実際介護士として、空襲で疎開された女性のご老人のお話を聞くこともあります。
浅草の家が全焼してしまって、静岡に疎開して
今の地に落ち着いたとのこと
話がそれましたが、広島、長崎と来たら
皆我先にと新潟を離れたそうです
ただ、その前に日本が敗北し
ポツダム宣言を受け入れたことで、原爆投下は回避されました
で、ほぼ戦前に近い形で残った新潟ですが…
昭和30年の丑三つ時に出火した火事は
街を丸呑みにしてしまいました
新潟大火です
大火で復興…と思いきや
今度は大きな地震で
泣きっ面に蜂
落成したばかりの橋はスパン毎に折れて落下
デパートは塔屋部分が倒壊
コンビナートは12日間も燃え続けたそうです
汚れてしまった水とあります
昭和30~40年位までは汚水は垂れ流し
河川は汚れに汚れました
これは新潟に限ったことではありませんが
大きかったのは
阿賀野川水銀中毒
別名「新潟水俣病」というもの
流れた水銀により中毒が発生したようです
現在、海に行くと
絵師さんも話していましたが
大陸からの漂流物がたくさんあるそうです
大陸側のモラルが問われるところだと思います
一通り見終えると
先般衝突の被害を被った
佐渡汽船のフェリー
「ときわ丸」が入港してきました
昨年の9月に佐渡ヶ島に渡り
帰ってきた船がこの船でした
前の記事では写真が取れなかったんですよね
港は入れなかったですし
ターミナルからは船が大きすぎて
全体像が掴めず
今回念願叶って良かったです