たーぼぅ’S BLOG Kitchen Ver.Ⅱ

ココログよりのお引越しです。写真とドライブを趣味としています。住所柄、温泉等もご紹介して行けたらと思います。何卒よろしくお願い致します。カメラはPENTAXK-70にSIGMAの30mmF1.4 Artレンズ、SIGMAの17-50mmF2.8 を使って居ます。

父の最期と生き方

 

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皆様、こんばんは

 

tabouaxela.hatenablog.com

昨日このような記事を執筆いたしまして

直ぐの出来事

夜中の2時15分くらいでしたでしょうか

母が私を呼ぶ声で

大体を悟りました

(チチ キトク)

大学病院まで1時間

その間も夜勤Drから

脈が停止している

心臓マッサージも不可

人工呼吸器を外してもよろしいでしょうか?…

「…外してください…」

大体、3時半に到着した頃に

よくTVドラマで見る

脈が止まって居る画面

まさかリアルに見るとは思わなんだ

3時59分最後の検査

「死亡、確認」

色々ありました、父の闘病もここでピリオドを打つことになりました

そこからの葬儀社選択

朝6時位に葬儀社が来て

遺体を搬出して

葬祭場の安置所に

そこで葬儀のプラン選択

まだあるの?という返礼の品々

正直直葬にしたかったのですが

父が生前勤務していたのが

立ち上げたばかりの旅館で

設立時からのメンバーだったし

なんなら半年くらい前まで働いてた→人脈が広そう

弊社上司が来る気満々

等の理由を鑑みて

家族葬とは銘打ちながらも

30人規模の葬儀と致しました

父の顔は黄疸が出ていながらも

寝ているだけで起きそうな顔

なんなら、寝息を立ててるのでは?と思うほどでございました

昼頃まで、葬儀社と打ち合わせ

その合間を見て会社に連絡

寝てないながらも

我ながらよくやったのでは?と思う程

気丈に振る舞って降りました

お昼すぎに一旦帰宅し

昼食を食べた辺りで

「父は一体何を生き甲斐にしてきたのだろう?」

そんな気持ちがふと過ってまいりました

家に居る時は大体ゴロゴロ

出ても近所のスーパーに買い出し

事実として

私のアクセラハイブリッド=10万km超え

父の車=22年目にしてやっと10万km超え

いかに出不精だったかを垣間見える数字です

家の事は何もせず

母にはブータラ言われ

私には呆れられ…

この人って本当に幸せだったのかな?

こんな無下に扱って…

その時に張り詰めた糸はプツンと切れ

堰を切ったような滂沱たる涙となって

「後悔」という文字が容赦無く私を襲うのです

本当にタラレバの話ですが

そこに拍車を掛けたのが

私の最後の言葉

紙パンツが足りないよと

弱々しく訴える電話越しの父

友人と会食の時の電話でイラッとしていたので

「おむつでいいでしょ!!」と恫喝に近い言葉を放って降りました

…これが最後に掛けた言葉…

タイムマシンがあるならば

この時に戻って

「いいから明日、病院に行け」と言いたかった

後悔してもしきれません

その後体調を崩した私

母は無くなる前日に会いに行ってるので

良かったと思います

良くいいます

「孝行したい時に親はなし」

名言だと思います

この記事を読まれて居る方は

おおよそ私と同年代か

それ以上の方が多いと思っておりますが

多分同じことを思って来られたのかなと

それは例え、血がつながっていなくても

義理の父であろうとも

30年同じ屋根の下にいれば

亡くなって気づく愛おしさだったりするのです

遺影を選ぶ時に…

そんなに写真は無かったりするんですけど

仕事仲間と無邪気に✌する父をみると

頼むからそんな顔で見ないでくれと

切に願い遺影を選んだ次第です

IMGP5119

写真はAE86トレノです

オーバーフェンダーやフォグ

ボンネット塗装と

ここまで極めてはいなかったですし

赤黒のトレノでしたが

ホイールは近しいものを履いていたかな

無口な父

86、4AGの話をすると

スイッチが入ったように

嬉々として話してました

今でこそ軽になっておりますが

MTを貫いており

私のハイブリッドCVTは怖くて乗れないそうです

また、旅館で「何かあった?」って振れば

あたかも「待ってました」と言わんばかりに

スイッチが入ってました

息子的には「ウザ…」って思うほど

この記事を纏めている前

夜に旅館の支配人さんが我が家に来てくれましたが

ショックを隠しきれておらず

涙目でございました

どうやら父は仕事一筋だったようで

相当会社から買われていた様子

まあ、設立当初のメンツは

本部長等の役職に就いていたり

父目当てで「帰ってきたよ」という

大変良いリピーターさんを作ってくれたり

支配人さんもどうやら父を頼っていた様子

相当なシゴデキ上司っぷりだったようです

家での乖離ぶりに「ほー」としか出ない

向こうも逆に家ではどんなだったんですか?と

聞いてくるほど

どうやら父の生き甲斐は仕事だったようです

男は口数少なく

黙して語らず

それが父なりの美学だったのでしょう

うーん、引用記事にある私とは真反対ですね

 

 

 

この記事は時間投稿で

17時現在通夜の前準備中と思われます

父はあまり家では見せませんでしたが

絵心がかなりありまして

即興で筆ペンでお客さんに絵をプレゼントして

大変喜ばれていたようです

前日と今回で旅館で食事の記事をぶった切って

記事をすり替えました

旅館の食事は父からの母の誕生日プレゼントということでした

それを踏まえて明日の記事をご覧いただければ

ピンと来る方

もしかして居るのでは無いかな

そんな思いで今回長文を綴って見ました